第36回
2025年
建築部門
Eduardo
Souto de Moura
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ

1952年7月25日、ポルトガル・ポルト生まれ
ポルトガル建築界の第一人者。アルヴァロ・シザ(1998年世界文化賞受賞者)に師事し、1980年に独立。「普遍的な建築はなく、すべてはその場に根差している」と、時代や空間と合致した建築に取り組んできた。素材も場所や現地の文化事情を考慮に入れて決定する。代表作は、旧修道院を改修した国営ホテル『ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス』(1997年)、市営競技場『エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ』(2003 年)、『ポーラ・レゴ美術館』(2009年)など。2011年プリツカー賞。2018年ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞。2024年、フランスの芸術文化勲章を授与された。世界各地の建築学校で教壇に立ち、後進の育成にも努める。現代の建築に必要なのは「今ある問題の解決」と指摘し、エコロジーへの意識向上と、そのための知性と教養が必要だと語る。
略歴
モダン建築と自然を融合させた建築を次々と生み出し、世界的に高い評価を得てきたポルトガル建築界の第一人者だ。
歴史や哲学、デッサン、幾何学が好きで、美術大学の建築学科へ進学。当時、建築家への道を目指しながら断念した兄の勧めがあったことも後押しになった。
1970年代半ば、劣悪な労働者階級の住宅改善のプロジェクトに関わった際、ポルトガルの著名建築家、アルヴァロ・シザ(1998年世界文化賞受賞者)の知遇を得る。約5年間、一緒に仕事した後、1980年にポルト市内の芸術文化センター『カーザ・ダス・アルテス』の設計をコンペで勝ち取り、本格的に活動を開始する。
その後、ポルト大学建築学部の教授も務め、シザらと共にポルトガル建築界を牽引する。倫理と美学は相互に関連しているという思想の下、「普遍的な建築はない。すべてがその場に根差している」と、時代や空間に合致した建築に取り組んできた。
代表作には、二つの山のような赤レンガ色の〝ピラミッド屋根〟を持ち、周囲の緑と美しい対照をなす首都リスボン近郊の『ポーラ・レゴ美術館』(2009年)や、廃墟となっていたポルトガル北部の修道院を改修した国営ホテル『ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス』(1997年)がある。国営ホテルは、建立された12世紀当時のものと思われる古い石を使い、かつての面影を残す現代建築として再生した。
2004年のサッカー欧州選手権開催に合わせて設計した、北部ブラガの市営競技場『エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ』(2003年)では、巨大な採石場の跡地をさらに掘削し、峻厳な岩壁と隣り合わせという、他に類を見ない壮大な建築物を造り上げ、「自然と人工の間の緊張感」が漂う競技場として世界的に注目された。
建築素材は、場所や現地の文化事情を考慮に入れて決定するのが一貫したスタイルで、「素材が色について多くのことを教えてくれる」と話し、色を選ぶことはしないという。また、「医者が患者の体を観察するように」と語ったことがあるように、眼科医を父に持つ建築家ならではの〝精緻な眼〟を持ち、設計しても機能しない部分があれば、柔軟に修繕を加えることに怠りはない。
2011年、プリツカー賞を受賞。授賞式に招かれたバラク・オバマ米大統領(当時)は建築に強い関心を持ち、スピーチの中で、ブラガ市営競技場を「重要な作品」と称えた。2018年ヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞。2024年には、フランス文科省から芸術文化勲章を授与された。
一方で、米ハーバード大学やスイス・チューリヒ工科大学など、世界各地の建築学校で教壇に立ち、若者たちに「懸命な勉強、旅行、猛烈な仕事」の重要性を訴えている。
15世紀の大航海時代から、世界へと進出したポルトガルを「さまざまな文化を収集し、自国文化と融合させてきた国」という。多様性に富む文化を土台に活動する中で、独裁政権や無血クーデターの影響も受け、装飾などを重視するポストモダニズムから、余分な装飾を省くミニマリズムへと動く建築界を歩んできた。そして、いま建築に必要なものは「現在における問題の解決」と指摘する。エコロジーと自然災害への意識向上と、そのための知性と教養が重要だと説く匠の、次なる傑作が待たれる。
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『ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス』1997年
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『ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス』1997年
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市営競技場『エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ』2003年
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地下鉄『カーザ・ダ・ムジカ駅』2005年
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『ブルゴ・タワー』2007年
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『ポーラ・レゴ美術館』2009年
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『コメディ・クレルモン・フェラン国立劇場』2020年
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アルヴァロ・シザ氏(左)と
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ポルトガル・ポルトの事務所にて 2025年4月